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武蔵野航海記

武蔵野航海記

尾瀬

7月末から尾瀬に行ってきました。

携帯も使えないという天国でした。

尾瀬がどの辺にあるか正確にわかっている人は少ないと思います。

私も栃木県と福島県の境目あたりだと漠然と思っていました。

ところが、実際は群馬と福島と新潟の境目で東京から結構遠いのです。

地図で見てみると、軽井沢と那須と尾瀬は東京からほぼ等距離です。

ところが実際に行ってみるとこのなかで尾瀬がもっとも遠いところにあります。

軽井沢や那須は新幹線で行けます。

尾瀬には直行バスで行き、群馬県の鳩待峠から尾瀬に入りました。

帰りは福島県の桧枝岐からバスに乗りました。

バスは北の方向に走り始めました。

「おい、方向が逆だ」と思わず叫びそうになりました。

群馬と福島の境目は日光、那須などの山岳地帯で南の方向には道がないのです。

バスは東北の方向に走り、東北自動車道に出て、そこで初めて南下を始めました。

尾瀬は大きく分けて、新潟県境の尾瀬ヶ原と福島県境の尾瀬沼の二つの部分からなりたっています。

尾瀬ヶ原は標高1500メートル、尾瀬沼は1600メートルで軽井沢より高度が高く、上高地と同じぐらいです。

ですからとっても涼しいところでした。

早朝に群馬県側の鳩待峠でバスを下り、そこから尾瀬ヶ原に下って行きました。

普通、山道は岩があちらこちらにあり歩きにくいのですが、尾瀬では広い木道が二列平行に敷いてあります。

この贅沢さに驚きました。

木道は湿原を歩き易くするためのものだと思っていたのですが、山道を歩き易くするためにも使われているのです。

この木道の両側のあちこちに、材木を束ねてビニールに包み上から鉄のロープを巻いて梱包してあるものが置いてありました。

大きさは3メートル四方です。

しばらくはこれがなんだか分かりませんでしたが、尾瀬を歩いているうちに分かってきました。

これは木道の材料である木材をヘリコプターで運んできて下ろしていったものだったのです。

「さすがに名だたる名所で日本の誇り、お金がかかっているな」と感心しました。

鳩待峠は尾瀬の正面玄関なので、いたるところに「ゴミを出すな。持ち帰れ」という看板がありました。

この看板には「東京電力」の署名があるのが大部分で、環境省の看板は東京電力の看板に副署のような感じでくっついていました。

なぜ東京電力が尾瀬の環境保護に頑張っているのかはじめは分からなかったのですが、やがて分かってきました。

実は只見川は尾瀬に発しています。

そして只見川には東京電力の巨大な水力発電所があります。

東京電力はこの関係で、尾瀬の土地の70%を所有している大地主なのです。

尾瀬には山小屋がいくつかありますが、そのうちの一つは東電小屋です。

それ以外にも東京電力が所有している観光施設が尾瀬にはたくさんあります。

東京電力は自社の発電ダムの水資源確保のために尾瀬の環境を保護しはじめました。

その後企業イメージをアップさせるために尾瀬を積極的に活用し、環境省がそれに上乗りしているという図式が次第に分かってきました。

尾瀬は東西10キロメートルほどの狭い盆地で、東、西、南を山に囲まれており、北に只見川が流れていっています。

こんな狭いところですから、通常は1泊二日で十分です。

私は涼しいところでゆっくりするのが目的なので、朝8時に山小屋を追い出されたら、少し歩いて12時には次の山小屋にもぐりこむという非常にたるんだ毎日を過ごしました。

山小屋の朝食は6時、夕食は5時半で、消灯は9時です。

朝7時には誰もいなくなってしまうのですが、こんな中で私が8時に350円のコーヒーを啜っていると非常に目立ちます。

私と同じように朝コーヒーを飲んでいたカップルと次の山小屋でも一緒になりました。

彼はフランス人で彼女は日本人です。

そこでなんとなく話をするようになったのですが、お互いに素性を尋ねることはしませんでした。

彼らには私は非常に怪しかったに違いありません。

独身なのか、家族を置いてきたのかふらふらしているオッサンですから。

彼らも相当に怪しかったです。

どうも結婚しているようには見えません。二人の通常の会話はフランス語ですが、男は日本語もできます。

フランスの同棲している若い男女の半分は結婚していませんから、彼らもそうだと考えるほうが無難です。

そのうちにこんな余計なことを考えるのもめんどくさくなりました。

一日4時間だけの散策ですが、色々な物を見ることが出来ました。

目の前が湿原で西に燧ケ岳がそびえている景色はいいものです。

小川には魚がいました。

山小屋には50センチを越す岩魚の魚拓が飾られていましたが、こんな大きな魚の背びれは水面に出ていたのではないでしょうか。

夕食後7時ごろ部屋から外をみていたら、木道の上を走っていく動物を見つけました。

体長は15センチぐらいです。

これは尾瀬近辺にしか生息していないイタチ科のオコジョではないかと思いました。

そこで翌朝、博物館みたいなところに行きその報告をしましたが、残念ながら私が見たのはオコジョではなく、両生類のイモリらしいということになりました。

オコジョを見たのだったら、認定書がもらえるところだったのです。

水芭蕉の季節は過ぎていましたが、日光キスゲやノアザミ、コオニユリ、ナガバノモウセンゴケという食虫植物などが咲いていました。

尾瀬で私がもっとも深い印象を受けたのはトイレで、実に衝撃的なことでした。

鳩待峠でバスを降り尾瀬に入ったのですが、ここのトイレは協力金200円を箱に入れてくれと書いてありました。

それ以外に変わったことはなく、普通のトイレでした。

その後尾瀬ヶ原の山小屋を渡り歩いたのですが、どこも200円の協力金を入れる箱が置いてあるだけでした。

尚、尾瀬ではトイレは山小屋に有るだけで、野外の公衆便所というのはありません。

それが、峠を越えて尾瀬ヶ原から尾瀬沼の方に移動したらトイレの様相が一変しました。

休憩所にあるトイレは200円という価格は変わらないのですが構造が違うのです。

温水でお尻を洗う電動式のトイレで、終わっても勢い良く水は流れません。

なにやら消毒薬らしい泡が少し出るだけです。

温水でお尻を洗っているので、トイレットペーパーはお尻の水滴を拭くだけのことです。

このトイレットペーパーを便器に捨ててはならず、横にある箱に捨てなくてはなりません。

トイレにしゃがんだら、ちょうど目の前に大きな紙が貼ってあってこのトイレの構造と使い方が説明してありました。

土地の構造上浄化槽が設置できないので、排泄物は固体と液体に分け、固体は圧縮してヘリコプターで外部に運搬するのです。

トイレットペーパーは水に溶けるわけではなく、ヘドロになるのでこれも別途ヘリコプターで排出するので固体と一緒にするなというわけです。

尾瀬沼周辺の山小屋のトイレは一応浄化槽があるのですが、処理能力に限界があるので固体と紙をヘリコプターで搬出することに変わりはありません。

私の推論も交えて説明するとこうなります。

尾瀬沼は周辺を山に囲まれており、沼の水は小川で尾瀬ヶ原に流れ込んでいます。

ですから不十分にしか浄化していない排泄物を小川に流せば、尾瀬ヶ原に行ってしまうのです。

一方、尾瀬ヶ原には只見川という大きな川が流れていますから、下水管を配備したら浄水層の中身は川に流してもさして問題にはならないだろうということです。

この説明書で一応のことは分かりましたが、私は「何か変だな」とロダンの考える人の姿勢をとりながら、考え込んでしまいました。

尾瀬沼のトイレで私は、排泄物と人間の関係について考え込んでしまいました。

実は今でも考え続けていて結論が出ているわけではありません。

ですから、今私が何を問題にしているかをこれから書きます。

排泄物(うんこ)のことなどブログに書くことではないかもしれませんが、結構大事な問題だと思い直して書くことにしたのです。

不愉快になったら読むのを中止してください。

1、現在日本やアメリカでの排泄物と人間の関係

2、排泄物とのかかわりの中で、人間の歴史は作られてきた

3、尾瀬沼のトイレの発想は現在の日本の発想から一歩も出ていない

ベトナム戦争のとき、ベトナムの池の魚のことが話題になりました。

サイゴン近郊の農家のトイレは池の上にあり、落とすと下の魚が奪い合って食べます。

魚が大きくなると、農家のオヤジは市場に持っていって売ります。

さすがに排泄物で育った魚を自分で食べる気はしないのです。

この話がアメリカや日本で評判になり、皆はベトナム人でなくて良かったと思いました。

似たような話は、敗戦直後の日本にもありました。

アメリカの占領軍は日本の野菜に肥やしが使われていることを嫌がり、化学肥料を使った「清浄野菜」を日本人に作らせました。

この発想が日本人にも移り、今では日本人も肥やしを使った野菜を嫌がるようになったのです。

そうして、排泄物(うんこ)を邪魔者扱いして、遠くに捨てています。

尾瀬沼のやり方もこれと同じで、ヘリコプターを使うのでコストが非常にかかり、トイレを有償にしなければならなくなったのです。

日本の道路では犬の糞は飼い主が持ち帰らなくてなりません。糞は悪党で邪魔だからです。

しかし日本で犬の糞を持ち帰らなくてはならなくなったのは、この30年ぐらいのことではないでしょうか?

それ以前なら、肥やしにするために糞は歓迎されたはずです。

では邪魔にされた排泄物はどうなるかというと、一部は浄化層を経て川に流されますが、一部は運搬船で外洋に持っていかれます。

沿岸から離れて黒潮の中に流すように決められていますが、業者は誰も見ていないと近いところで流し、時間と燃料を節約します。

海の中に黒い帯となった排泄物に太刀魚が群がってなんともすさまじい光景になります。

黒潮に乗ってアメリカ沿岸にたどり着いた排泄物をアメリカの魚が食べ、アメリカ人の排泄物は同じくアメリカと日本の魚が食べます。

結局、人間の排泄物は魚を食べることによって人間が食べています。

こういう点では、ベトナム人も日本人・アメリカ人も変わりません。

日本人やアメリカ人は排泄物を追いやることで安心していますが、結局は離れられない関係になっているのです。

ナイル川にはぐくまれたエジプトとチグリス・ユーフラテス川の間のメソポタミアで農業が始まり、国家が出来ました。

これらの大河では毎年決まった時期に洪水が起き、上流の肥沃な土を耕地に運んできました。

洪水があらゆる地上の目印を流し去るので、その都度各自の所有する土地を確定しなおさなければならず、幾何学が発達しました。

肥料は洪水がもたらすので、人工的に施肥をする必要の無い初歩的な農業でした。

その後、これらの最古の農業発生地帯の周辺で、もっと高度な農業が生まれ強力な国家を作っていきました。

エジプトとトルコを結ぶ地中海沿いの細長い地帯にはフェニキア人が住んでいましたが、彼らも高度な農業技術を持っていたようです。

フェニキア人は交易が得意な民族として知られていますが、農業も得意だったのです。

カルタゴは現在の北アフリカのカルタゴにあった都市国家でしたが、フェニキア人が北アフリカに建設した植民市が発展したものです。

カルタゴは北アフリカ、イタリアのシチリア、更にはスペインを領土とした強大な国家でとなりましたが、当時の北アフリカはカルタゴ人の優秀な農業技術によって非常に豊かな土地でした。

このカルタゴが紀元前3世紀にローマと地中海の覇権を争って大戦争をし、敗れて滅亡してしまいました。

カルタゴ人は非常に傲慢で他国人を見下して従属国に高額の税を課したりしたので、弱小国は落ち目になったカルタゴを助けようとしなかったのが敗因の一つです。

しかしそれ以外に、絶えず二つの派閥が抗争しローマとの大戦争の最中でさえ国論の統一が出来なかったことも負けた大きな理由でした。

対外貿易に従事する勢力は対外進出派を作り、それに対抗していたのが大規模な農業経営者たちの内治派でした。

対外進出派の代表がバルカ一族で、ローマ軍を散々な目にあわせた名将ハンニバルはバルカ一族の出身です。

一方の内治派のボスがハンノでバルカ一門と事毎に対抗しました。

この両派閥の勢力が拮抗してたので抗争が収まらなかったのですが、このことは対外貿易で得られる莫大な利益に相当する収益が農業経営でも得られたことを意味します。

それほどカルタゴの農業技術は優秀だったのです。

ハンニバルは子飼いの軍勢を率いてスペインからイタリア本国に侵入し、ローマ軍を散々に打ち破ったのですが、その間カルタゴは積極的にハンニバルを支援せず、放置したような状態だったのです。

カルタゴが滅びた後この優秀な農業技術がローマに伝わり、ローマの農業技術も大いに発展しました。

耕すというのは、農業で非常に大切なことです。

地中の土を掘り起こし、表面の土と入れ替えることによって土の中に空気をいれ、様々な微生物の活動を活発にさせます。

畑に植える麦と水田の稲とでは掘り起こす土の深さが違うのです。

麦の場合は20センチぐらい掘り起こさなくては十分でないので、人間がクワで掘ることは不可能です。

ですから麦が主力のヨーロッパでは、牛や馬などの大型家畜に牽引されたスキで耕すわけで大型の家畜は絶対に必要です。

また一本の麦に実る実の数は稲に比べて少ないので、同じ量の収穫を得るには稲より多くの土地を耕さなければなりません。

大型の家畜を使って効率的に耕さなくてはならないのです。

稲を植える水田はそこまで深く耕さなくても良いので、人力で何とか間に合います。

日本の農業では牛や馬は補助的にしか使われないのはこういう理由です。

ヨーロッパでは家畜用の食料が乏しくなる冬を考えて、秋に家畜を殺して保存食を作ります。

ヨーロッパ人が多くの肉を食べるのはこういう理由です。

古くなった肉は臭いので、この臭いを消す胡椒の需要は非常に多く、この胡椒を求めて大航海時代が始まり、世界の歴史を変えました。

このようにヨーロッパでは家畜は肉を得るのが主目的ではなく、農作業に必要だから飼われたということを理解してください。

先進的な農業技術を取り入れたローマの農業は二圃式というものです。

農地を二つに分け、一つには麦を植え、他方には家畜を飼うのです。

そして毎年これを入れ替えます。

家畜は大量の糞をしますから、これが肥料になり作物を植えて栄養不足になった農地の地力を復活させるのです。

家畜の糞は非常に量が多いのでこれだけで十分であり、日本のように家畜が少ないので人糞を肥料にするという習慣が育ちませんでした。

江戸の町には汚猥屋という人糞回収業者がおりお金を払って排泄物を買っていったので、世界にもまれな清潔な町でした。

一方のヨーロッパの都市では人糞回収業者がいませんから、道路に捨てるわけで大変な状態でした。

この惨状を解決したのが、ナポレオンでパリに下水道を完備し清潔な町にしました。

ベルサイユ宮殿はブルボン王家が作った壮麗な宮殿でしたが、トイレがありませんでした。

不潔な状態に慣れていたので、不特定の多数が利用するトイレという発想がなかったのかもしれません。

ベルサイユ宮殿では、日夜華やかな社交が繰り広げられていましたが、貴婦人たちは物陰で用を足していたのです。

ナポレオンも没落して再びブルボンの世になったベルサイユを訪れた年配の貴婦人は、おなじみの臭いをかいだ時に、鼻をつまみながら「楽しい時代を思い出しました」と云ったということです。

ローマは、家畜の糞を肥料として使う二圃式農業によって従来より食料の生産を大幅に増やすことが出来ましたが、これはローマの国力の増大に大いに貢献しました。

カエサルは、強大な軍事力と彼自身の才能によってガリア(今のフランス)を征服しました。

このローマのガリア征服はガリア人によって圧倒的に支持され、今に至るまでフランス人はローマの版図に入ったことを誇りに思っています。

ローマの征服は、ガリアに安全保障と非常な経済的繁栄をもたらしたからです。

ライン川沿いに配置されたローマ軍によって、ガリアはゲルマン人の侵入を受けることが無くなり、またガリアの部族同士の内乱もなくなりました。

このことにより、ガリア人は敵の襲撃に備えて城壁を巡らした都市を離れ原野に定住することが出来るようになりました。

未開の原野を開墾することが出来、耕地が飛躍的に増大したのです。

また、ローマから導入した二圃式農業により、耕地面積あたりの収量も増えました。

このような経済的な繁栄はガリア人の民族の独立と引き換えに得たものですが、子供が飢えて死ぬのを見たら、民族の独立もへったくれもなくなります。

相変わらずライン川の向こう側のゲルマン人はガリアへ侵入しようとしましたが、これはゲルマンの地の食糧生産が不十分だったからです。

よく歴史書には、ゲルマンの地は寒冷で土地が痩せていたからだと書いてありますが、よくもこんなデタラメが書けたものです。

現在のドイツは人口密度がフランスより高いのですが、食料の自給をほぼ達成しています。

古代のゲルマン人は二圃式農業を知らず原始的な農業を行っていたから、農業の生産性が低かったのです。

また当時のゲルマン人は農耕民族でなく遊牧民族だという説が流布していますが、これも大いに疑問です。

古代のゲルマン人が巨大なスキを馬に曳かせて土地を耕している絵やレリーフがたくさんあります。

家畜の糞によって地力を回復するということをしなかった為に、頻繁に耕地を変える必要があったので、焼畑農業を行っていたのです。

家畜を多数連れての移動ですから、ちょっと目には遊牧民のように見えたのです。

このように家畜の糞を農業に利用することにより、古代の地中海世界は経済的繁栄と平和を維持することが出来ました。

ローマ帝国が滅びてしばらくの間ヨーロッパは荒廃していましたが、やがて中世も後半になると社会は安定してきました。

その時の農業は、二圃式農業がさらに発展した三圃式農業になっていました。

農地を三つにわけ、一つには小麦などを夏に栽培し、もう一つは冬作物を栽培し、残った三分の一に家畜を放牧するのです。

作物を植えない家畜の放牧地が全体の半分から三分の一に減り、その分作物を栽培する面積が増えました。

しかし、家畜の糞を肥料にして地力を維持するということでは変わりません。

この三圃式農業は今のヨーロッパの農業の基礎になっています。

ヨーロッパの農業が発達している間に日本の農業も発達していましたが、少し方向が違います。

家畜の糞を肥料にするのと違い、人糞をメインにしました。

道路わきの肥溜や天秤棒の前後に肥桶を担ぐというおなじみの情景が目に浮かびます。

江戸時代も後半になると、綿の栽培など高収益の作物が多く栽培されるようになって来ました。

特に近畿地方は綿の栽培が非常に盛んで、ここが最近まで繊維産業が盛んだったのはこういう理由です。

この綿というのはものすごく大量の栄養素を地中から吸い上げるので、人糞では十分でありませんでした。

そこで蝦夷地(北海道)からいわしやにしんなどの魚を干した物を購入し、それを肥料にしました。

お金がかかる肥料などで金肥と言っていました。

北前船で蝦夷地から輸送された金肥は大阪に集められ、そこから更に全国に販売されていきました。

金肥が当時の日本の経済を非常に活性化させたのです。

一方、米や野菜などの通常の作物には人糞が使われました。

このように高価な作物には金肥が、通常の作物には人糞が使われましたが、メインはやはり人糞でした。

ヨーロッパのように家畜の糞がメインであったら、家畜の糞の需要地と供給地が同じです。

しかし日本の人糞の場合、需要地は農村ですが大量に人糞が発生し供給される場所は都会です。

そこで人糞もお金で取引され輸送される商品になりました。

江戸の町を大八車に肥桶を積んだ汚猥屋が巡回し家々から人糞を買っていました。

都会でも、人糞はお金になる貴重なものであり、時と場合によっては自分の地所内に捨てられたことをありがたいと思うぐらいのものでした。

道路に犬の糞を放置するなとか持って帰れなどという看板などありえない社会だったのです。

住宅街で門前に犬の糞を放置されて怒る家もあったでしょうが、そのときはおそらく企業家が道路わきに「犬の糞の捨て場」を設置し回収して巡って儲けたことでしょう。

こういう日本人の人糞や犬糞に対する感覚が変わったのは、戦後のある時期からでつい最近のことなのです。

そしてこの感覚の変化は農業の機械化によってもたらされました。

多くの文明の利器は戦争をきっかけに開発されました。

飛行機、レーダー、缶詰などなどたくさんあります。

ナイロンという化学繊維は日本との戦争を想定したアメリカが、落下傘の材料となる絹を日本から買えなくなるとして、開発したものです。

コンピュータは大砲の弾道計算をさせるために開発された立派な兵器だったのです。

そして農業機械も戦争を契機として開発されました。

アメリカの南北戦争は大変な戦争でした。

その歴史的意義をさておいても世界最初の総力戦で、それまでの牧歌的な騎士道・武士道精神に溢れたものとはまるで違いました。

1861年~1865年の間に戦われましたが、ちょうど日本の幕末も煮詰まった時で、終戦後大量に余った武器が日本に輸出され、薩長も幕府のこの中古輸入武器で戊辰戦争を戦ったのです。

当時のアメリカの人口は3000万人で日本とほぼ同じでした。

この戦争に動員された兵士は250万人で戦死者は62万人です。

今次大東亜戦争(第二次世界大戦)で日本が受けた被害とは人口比率でほぼ同じです。

アメリカの総人口が3000万人だったということは、男が1500万人となります。

そのうち少年と老人を除外すると兵士に適する男子は500万人ぐらいです。

その500万人のうち半分の250万人がそれまでの仕事を離れ兵士になって戦ったのです。

半分以上が農民でしたから、それが農作業をしなくなったわけで大変なことになりました。

そこで開発されたのが農業機械だったのです。

現在のアメリカの農業機械メーカーの多くはこの時期に創業されています。

戦争による人手不足が農業機械開発の原因だったことでも分かるように、農業機械の目的は省人化・省力化です。

19世紀後半は世界の主要国の産業化が更に進展し、田舎から都市へ人口が大移動しました。

その結果、農村の人手不足は続き農業機械の需要は高まる一方でした。

19世紀の初頭はどこの国も農民が人口の70%以上を占めていましたが、現在のアメリカやヨーロッパでは2~3%です。

日本の場合、人口が農村から都会に大移動を始めたのは戦後の高度成長時代だったので、農業機械の普及もその頃に始まりました。

そして現在の日本の農業人口は非常に数えるのが難しいのですが(表面上農民での実際に百姓はやっていないというのが多いので)数パーセントだと思います。

かつては10人でやっていた農作業を今では一人以下でできるわけで、人件費が減り農産物の価格は大いに低下しています。

日本の例をあげると、戦前に1町の水田を持っている農家は、農業収入だけで息子を中学に行かせることができました。

しかし現在の農家はまったく違います。

数年前のデータなのですが、1町の水田を持っている農家の一家の収入は850万円です。

おじいさんとおばあさんは年金を貰いながら農作業をやり、息子は近くの工場に働きに行き、未婚の孫も近くの農協で働いて、その全部の収入を合わせて850万円です。

そのうち農業による収入はたったの50万円です。

そしてこのわずか50万円の収入を得るために必要な農業機械の総額は500万円~1000万円です。

誰が見ても今の日本の農業が歪んでいるのは否定できません。

一方で、昔に比べて食料費が安くなったので、都会のサラリーマンはその分他の物を買えるようになり、消費が増えて経済が成長するという好循環が出来上がったのです。

日本もそうですが、ヨーロッパやアメリカでも輸入の農産物には高率の関税をかけ、自国の農家を保護していますが、その背景にあるのは農産物価格の低下です。

政治家が票を集めるために農家を甘やかしたという側面もあるでしょうが、国家財政の大きな部分が農業の支援に使われていることには、もっと大きな背景もあるのです。

農業にかける人手を少なくするために開発されたのが農業機械です。

農業機械には、作物の成長段階に応じて様々な機械があります。

稲でいうなら、早春田を耕すのに使うトラクター、田植えの時に使う田植機、秋の収穫のときに使う収穫機、刈り取ったモミを乾燥させる乾燥機などがあります。

昔は鎌で刈り取った稲は束ねて、田んぼの上で干していました。米は乾燥させないと貯蔵できないからです。

ところが収穫機を使うと、刈り取ってそのまま機械の中で脱穀をしてしまうので太陽の熱で自然乾燥させることが出来ず、別途機械を使って乾燥させなくてはならないのです。

ヨーロッパやアメリカの小麦用の機械も田植え機を除けば大体同じです。

これらの機械の中で一番重要なのはトラクターです。耕すというのが農業の基本だからです。

トラクターが出来る前は、スキを馬に曳かせて土を掘り起こしていました。

この作業を空から見ると、畑の上を一本の長い穴が引かれています。

一条づつ耕していったのです。

トラクラーの場合、後ろに作業する機械を装着して使います。

通常はロータリーというもので、鉄のパイプを進行方向と直角に着け、それを回転させます。

このパイプにはブーメランに似た湾曲したツメをたくさん付け、それを地面に押し付けてミキサーのように土を攪拌していきます。

このロータリーの幅は2~3メートルぐらいあり、この幅で土を耕していきます。

馬を使っていたときは、一条づつせいぜい40センチ程度の幅しか耕せなかったのですが、トラクターでは大幅に効率的に耕すことができます。

一匹の馬の力を一馬力といいますがトラクターは百馬力以上ありますから、一度に耕す幅も広く、スピードも速いのです。

ロータリーで土を耕す時、土は抵抗しますからロータリーを上から力で押さえつけて跳ね返されないようにします。

深く耕すにはツメを大きくし、上から押さえつける力を強くしなければなりませんが、そうしたらトラクターのスピードが遅くなります。

また土の抵抗が大きいのでトラクターの重量を重くしてその抵抗に打ち勝たなければならず、余計にスピードが遅くなります。

結局、効率を考えると、許容範囲のぎりぎりまで浅く耕すことになります。

トラクターで耕すと効率の問題から浅くしか耕しません。

日本の場合にはもう一つの原因があります。

春先、田んぼにまだ水を入れずに乾いた状態の時に耕すのですが、その後水を張って田植え寸前の時にシロカキをします。

土の表面を水平にしてどこも同じ深さに水が張れるように、土の表面をならすのです。

この作業にもトラクターを使うわけですが、当然トラクターは泥の中に入っていきます。

重いと沈んでしまうので、日本の水田用のトラクタは出来るだけ軽くしてあるのです。

こうなると機械の構造上の点からも土を深く耕せません。

土を深く耕すのは、地中にも空気を入れ、作物に必要な微生物を活性化させるためです。

浅くしか耕さないと深いところの微生物が活性化されず、作物が十分生長することができません。

弱い作物は病害虫に対する抵抗力が弱く、地中に大きく根をはって栄養分を十分吸収することができません。

更に雑草などとの生存競争に勝ち抜くことができなくなります。

農業機械が普及した時はちょうど化学も発達した時期で、農薬や化学肥料も開発されました。

農業機械を使うことによって、作物が十分に成長しない弱点を補ったのが化学肥料と農薬だったのです。

効率を考えて十分深く土を耕さないと作物は丈夫に育ちませんが、それを補っているのが化学肥料と農薬です。

友人の畑にサツマイモを貰いに行ったことがありました。

畑に植わっているから勝手に掘って持っていけというわけです。

その畑の土は灰色でサクサクとしていて農地特有の柔らかさがありませんでした。

そして表面のあちらこちらに変な虫が出入りする穴がありました。

友人の農地は大都市の郊外にあり、兼業農家でした。

兼業農家というより農地の固定資産税軽減の処置を受けるために形だけ農業をしているというのが実態です。

友人は自分の農地が農薬によって中毒状態になっていることを自覚していました。

一度農地の土が農薬・化学肥料の中毒にかかると地中の微生物が死んでしまい、なかなか元に戻りません。

こういう状態では、人糞や家畜の糞を肥料に与えても効果がありません。

人糞を肥料に与える習慣がなくなると、この流通網がなくなります。

このようにして人糞が貴重な資源だという自覚がなくなり邪魔者になっていきました。

そしてこの邪魔者を人目にさらさずに放り出すことばかり考えるようになりました。

農薬や化学肥料は人体にも悪影響を与えるのは皆さんも既にご承知だと思います。

一部では高額な有機栽培の農産物が売られていますが、大部分の食料は以前のままの危険な状態です。

たまに有機食品を買ってみても、外食や出来合いの惣菜、袋菓子などに有機栽培の食材が使われているわけがありません。

この農薬・化学肥料に農産物が汚染されているというのは世界的な現象で、貧しい国で取れたものだから安全だなどと考えてはいけません。

一番危険な農産物は支那産ですが、このことは皆さんも良くご承知でしょう。

私の近所の主婦の支那産のものは極力買わないようにしています。

支那では、農薬に汚染された食品を食べて死んでもニュースにならないほど当たり前の状態になっています。

自分でいうのもなんですが、アメリカもあまりしっかり管理しているとは言えません。

色々なところから聞くとEUは規制が割合しっかりしているようですが、実際に確認したわけではありません。

こういう問題というのは、個々人がどれだけ社会と一体化しているかで結果が違います。

自分がその社会に所属しその社会のルールをしっかりと守ろうと考えていれば、他人が食べるのだからといって農薬まみれの食料を出荷することはありません。

各人が社会に対する責任を感じずに自己の利益を最大限に追求する社会は、貧しく不安定です。

支那の食品が危険なのもこういう理由だろうと思います。

結局、農薬・化学肥料という問題は、その国民の意識を映し出す鑑の役割を果たしています。

社会が産業化し効率を追求していきましたが、そういう風潮の中で農業も効率化するために農薬や化学肥料が使われるようになりました。

農薬や化学肥料に農地が中毒になり、人糞や畜糞を肥料として使い続けることが出来なくなってしまいました。

農業機械や化学肥料が有機肥料を駆逐したのです。

そして農薬の人体への悪影響が大きな社会問題になってきました。

農薬・化学肥料の使用をやめるには、大変な努力が必要です。

長い年月をかけて農地をリハビリしなくてはなりません。

また効率を犠牲にしてでも、深く耕して農薬を使わなくても作物が生長できる環境を作ってやらなくてはなりません。

草取りなどの非常に厳しい作業を復活しなければなりません。

人糞を肥料に使う社会的な循環の仕組みを復活させなくてはなりません。

その結果、農業の効率が悪くなり農産物の価格が上昇しますが、我々はこれに耐えなければなりません。

これはほとんど不可能に近い難事です。

まず、農薬や化学肥料の人体への影響がはっきりしていません。

日本でもアメリカでも監督官庁はデータを公表していませんから、皆が色々と推定しているという段階です。

しかし子供が出来ない夫婦やアレルギー症状の子供の激増はこのためだと考えられています。

以前にはあまりなかった突発的な理由のはっきりしない凶悪犯罪の激増もこのためだという研究結果もあります。

大変なことが起きているらしいのです。

もう一方で、有機肥料の循環サークルを復活させるということも非常に難しいです。

肥桶を担いだ男が向こうからやってきたら、私でもパニックになります。

それこそ先端技術を使って、糞をきれいな肥料にする設備を無数に配置しなければならず、住民の説得や莫大な費用の捻出が大変です。

歳を取るにつれて、人間は疑り深くなってくるようです。

でもそれは人間の品性が悪くなってくるのではなくて、現実を学んで世の中の情報が信用できないということを数多く経験するからで、いわば賢くなっていくのです。

私も次第に疑り深いというか賢くなってきたと思っています。

痛感するのは、政府とかマスコミが大騒ぎすることはたいていは大した問題ではないということです。

逆に沈黙している事柄はきわめて深刻だということでもあります。

最近の日本で大騒ぎになった年金騒ぎもそうだと思います。

そもそも年金というのは政府の財政と表裏一体の関係で、国の財政は大丈夫でないが年金は大丈夫だということはありえないのです。

ところが今回の一連の騒ぎのときに年金の原資となる国の財政は大丈夫なのかという議論はありませんでした。

財政の関連で話をしても、どこまで税金で不足分を補填するかという議論ばかりで、その元の国家財政がパンクするか否かという議論はありませんでした。

国家財政が破綻したら年金もへったくれも無いわけで、そういう意味で年金だけの議論というのは大したことではないのです。

この国民年金というのは筋の通らない制度で根本的なところでおかしいと思っているのですが、これ以上は今回は書かずにいずれ機会があれば書きたいと思います。

1000兆円以上という借金を抱えた国の財政の行く末のほうが大きな問題ですが、これに対するまともな政府の説明は今のところありません。

せいぜいプライマリーバランス(政府の借金関連を除いた財政収支のバランス)の説明しかありません。

マスコミも突っ込んだ報道をしません。

この問題を書いた本が少し前にいくつか出版されましたが、政府とマスコミに完全に無視されたために尻すぼみになってしまいました。

騒がれない沈黙を守っている問題が本当に大きな問題なのです。

最近、テーマの「尾瀬」と関係ありそうななさそうな内容が続いていますが、私の頭の中では繋がっています。

「政府やマスコミが大騒ぎする事は大したことは無い。沈黙を守っている問題が本当に大きく危ない」ということを今書いているわけです。

上記の私の判断基準に最近引っ掛かってきた問題があります。

確信が持てるような状態では全くないので書くのはやめようかとも思ったのです。

しかし私が上記の基準でどんなことを感じたかという例として書いてみても良いのではないかと思いました。

あとは私のブログを読む人が自分で判断したら良いわけです。

これは「支那の脅威」という問題です。

最近一年ぐらい、マスコミや特に政府が「支那の脅威」を盛んに言っています。

これは私の基準では「もう支那の脅威のピークは過ぎた」ということになります。

そしてこれに対する備えの自衛隊のだらしなさが大いに問題とされています。

支那人と結婚した自衛隊員が機密情報をジャンジャン流しているとか、佐官クラスの幹部が支那のスパイに情報を提供しているとかにぎやかです。

今の日本は徴兵制がなく、司令官は法律家の許可がないと命令も出せないような、まるで戦争をできる体制になっていません。

日本の為政者が本当に「支那の脅威」を感じたら、自分から問題を触れ回って無能振りを国民にさらけ出すでしょうか。

黙ってアメリカとの安全保障関係を懸命に強化するはずです。

こういう発想から自分で出来る範囲で情報を集めてみました。

そうしたら色々面白いことが分かってきました。

鉄や銅などのスクラップが支那の建設ブームによって暴騰し電線泥棒まで出ていたのですが、このスクラップ価格が5月ぐらいから非常に値下がりしています。

友人を通じての情報なのですが、支那と商売をしている人は皆、今後は非常に厳しいと言っているそうです。

上海上場の株式は市場最高値を更新していますが、これはもうバブルの最終局面だという人が結構増えてきています。

北京オリンピックは来年でその二年後には上海万博が開かれます。

支那は日本が東京オリンピックや大阪万博で経済を飛躍的に発展させたようにこの二つを成功させるのに必死です。

数年前から「北京オリンピックまでは支那は大丈夫だが、上海万博まで持つかどうか分からない」と世界中で言われてきて、いわば常識になっています。

支那人自身がそういう発言を私にしていました。

この通りになりそうな兆候も感じられるのです。

こういう兆候を察知したのか、アメリカは農薬が入っていて危険だとして支那からの食料輸入を禁止しようと挑発的になっています。

ヨーロッパは少し前までは支那一辺倒だったのですが、最近は距離を置くようになっています。

「支那のバブルが崩壊しても経済的に苦しくなり日本もその影響を受けるかもしれないが、それと支那の脅威とどういう関係があるのだ」と疑問に思う方がいるかもしれません。

こう考える方は、支那と日本が全く違う社会だという認識が十分でないと思います。

支那というのは日本人が想像も出来ないほどの「格差社会」です。

格差というより、下層は人間扱いされていないというのが正確です。

江沢民は国家主席でしたが、胡錦濤に蹴落とされて無理やり隠居させられました。

彼が在任中に溜め込んだ金は3000億円と推定されていました。

ところが最近、上海の責任者だった共産党の幹部が4800億円の国家財産を横領したとして告訴されたことがニュースになっていました。

上海地区の責任者程度で4800億円なら江沢民が3000億円というのは少なすぎると思います。

江沢民は息子をアメリカに留学させ、卒業後はアメリカの証券会社に勤めさせました。

多くの支那人が正体不明の金をアメリカで運用するのを手伝うのが、この息子の仕事です。

支那の共産党幹部の息子でアメリカや日本に留学しそのまま在住を続けている者たちも似たようなものです。

私の知っている支那人も共産党の幹部の息子ですが日本に住み着いています。

父親に便宜を図ってもらおうとする支那人たちは、この息子の日本の銀行口座に巨額の金を振り込みます。

息子はそれを電話で父親に報告するという仕組みになっているのです。

こういう風に巨額の蓄財をする連中がいる一方で、奥地の百姓などは一家が一年間に1万円で暮らしています。

一ヶ月1万円ではなく、一年で1万円ですよ。

こんなとんでもない格差社会ですから、各地で大規模なデモが発生し、警察はデモ隊に発砲するという騒ぎが頻繁に起きています。

それでも支那の社会がなんとか崩れないでいるのは、経済的に成長しているからです。

貧しくても少しずつ収入が増えていけば、命がけで反抗しようという気持ちになりません。

それがバブルが崩壊して収入が落ち込んだら、不満が爆発しても不思議ではないのです。

軍隊の役割は二つあります。

1、外国の軍隊を打ち破ること

2、国内の不満分子を抑えつけること

一般の人は一番目の目的である外敵を打ち破るのが軍隊だと思っていますが、支配者は二番目の役割を忘れることはありません。

特に社会が不安定な国では二番目の役割がメインです。

社会が不安定で貧しい国は軍隊も弱いので外敵とまともに戦えませんから、存在意義は国内対策になります。

しかしどこの国でも「国民を抑え付けるのが目的だ」などとは口にせず、軍隊に美しい名称をつけています。

国防軍、祖国防衛軍、人民解放軍 などです。

支那の軍隊も「人民解放軍」という素敵な名前がついていますが、不安定で貧しい国なので国内の不満分子を抑えつけるのがメインの目的です。

「国内を抑え付けるには機関銃と火炎放射器があれば十分で、航空母艦、原子力潜水艦、核ミサイルなどは不要だろう」という反論があるかも知れません。

実は軍隊にはもう一つの目的があって、それは「国威発揚」です。

特に支那のような、力で国内を押さえつけている国では、現政府がしっかりとしていて外国の侮りを受けていないということを国民に示す必要があります。

筋肉モリモリのマッチョだということをアピールしなければならないのです。

しかし国内の格差がどんどん広がって不満が高まった時に不況になると、国内に本当に反乱が起ってしまいます。

そうなれば日本や台湾を脅かして遊んでいる場合ではなく、本業に戻らなくてはなりません。

日本やアメリカ、ヨーロッパの支那に対する態度が変わってきたのは、こういう情勢の変化を察知したからではないかと私は受け取ったのです。

私のような視点は一般的ではありません。

「21世紀は支那の世紀だ」とか「あと何年したら、支那のGDPはアメリカを追い抜く」という見方が一般的です。

しかしプロは私と同じような見方をしています。

特に東洋史の専門家などの歴史家はこういう見方の人が多いです。

その国の国民の発想や行動パターンはそう簡単に変わりません。

日本人はどんな場合でも日本的に行動するように、支那人はいつでも支那式に行動します。

そして支那の歴史は、政府が力で国民を押さえつけ、それが臨界点に達すると反乱が起きるというパターンの繰り返しです。

今回「支那の脅威」が薄らいだから、政府はそれを声高に言い出し、それを機に自衛隊を引き締めようと考えているのだと私は解釈したのです。

こういう問題は情勢の変化によって刻々と変化していきますので、私もこのような視点で観察を続けようと考えています。

マスコミや政府が大騒ぎする問題は大した問題ではないと私は考えるのですが、最近の食べ物に関する報道でもそれを感じます。

北海道の菓子屋が売っていたチョコレートの問題でマスコミが大騒ぎしましたが、別に食べた人の健康が害されたということではありません。

「賞味期限」を改ざんしたということで、要するにこの菓子屋が長年にわたってウソをついていたということです。

「賞味期限」というのは長期間保存できる食品に関する基準で、それを過ぎると「完全な品質が保証できない」というもので、簡単に言えば「まずくなる」という意味です。

うまい間に食いたければ賞味期限内にしてくださいという意味で、それを過ぎても不味くてもいいならどうぞ食べてくださいということです。

そもそも食品というのは基本的に保存が難しいものです。

それを何とか長期に保存しようとして、米なら風通しが良くネズミなどが入り込めない「米倉」に保管し、他の食品は「塩漬け」「燻製」「砂糖漬け」などの工夫をしました。

チョコレートなどは殺菌作用のある砂糖を使った昔からの保存食であり「賞味期限」などをわざわざ設定するようなものではないと思います。

それが「賞味期限」を設定しなければならないというのは、本来のチョコレートではなくなっているからではないでしょうか。

保存させるために大量の砂糖を使うので非常に甘いのです。

イタリアには昔から長期保存用のケーキである「パンフォルテ」というのがありますが、これなどいやになるほど甘いです。

チョコレートなども本来は非常に甘いものです。

それを売れるように甘さを抑え、ミルクなどというおよそ長期保存できないものを加えるのですから、本来の保存食とは別物になっています。

梅干や塩鮭、漬物なども高血圧に良くないとしてわざわざ塩分を少なくして本来の保存食の意味が失われています。

こういうことが出来るのも食品に「防腐剤」を入れるからです。

防腐剤とは細菌などの生物を殺すもので、生物である人間にも悪影響のあるのはあたりまえです。

防腐剤が入っているから「賞味期限」を過ぎても腐らないわけで、マスコミはむしろこっちの方を問題にすべきです。

しかし現実には、この問題を無視してくだらないことを騒いでいます。

ポスト・ハーベスト(収穫後)という問題があります。

作物を作る過程で農薬などに汚染されるということ以外に、収穫後にも問題は発生します。

小麦をアメリカから輸出する場合、袋詰しないでそのまま船倉に流し込みます。

日本に運ぶ途中にカビが生えるので、宇宙服みたいに上から下まで外気に触れないように完全装備したオッサンが小麦の上に薬品を撒くのです。

要するに毒を撒いているわけです。

日本に着いたあとも、最終的な食品に加工されるまでに、防腐剤、着色料など様々な化学薬品が添加されます。

魚も問題を抱えています。

何年か前、友人のヨットに乗せてもらって瀬戸内海をセーリングしたことがありました。

日本の沿岸というのは障害物がいっぱいです。

蛸壺、定置網などが散らばっていて、セーリングには神経を使います。

そのなかに養魚場もありました。

海の中の広い一角の四方を網で囲みその中で魚を養殖するのです。

面白そうなのでヨットを近づけてみましたが、良く見えませんでした。

ただ網に藤壺などがあまりついていなくてきれいだなと思っただけです。

後から聞いたのですが、狭いところに多くの魚がいるので水が直ぐ汚れ酸素も不足します。

そのために網の間から十分に海水が出入りして網の中の水が入れ替わるようにしなければなりません。

皆さんもご存知のように海の中ではすぐ海草や藤壺が付きます。

網に藤壺が付くと網目の間が狭くなって海水の入れ替えが出来なくなり、中の魚が死んでしまいます。

ですから網に船底塗料を塗るのです。

これは生物が付着しないようにするためのものですから成分は毒です。

狭いところに多くの魚がいるので、魚の病気もすぐ他の健康な魚に移ります、

ですから餌に抗生物質を混ぜています。

養殖の魚が危険だというのはこういうことです。

ですから魚を食べるなら、養殖しても採算が合わない安い魚が良いのです。

かつお、とびうお、いわし、さんまがまずは安全だと思います。

さめなども良いかも知れません。

私はかつおが大好きで、しょっちゅう刺身を食べています。


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